勉強をする・学校に行く意味についての考察【不登校経験者が語る】

コラム

私たちの社会には義務教育があり、勉強することが当然のように求められます。

ですが、勉強をする意味を理解していないと、しばしば勉強することや学校に行くことが、苦痛に感じられてしまいます。

この記事では、私たちが勉強をする意味・学校に行く意味について、私自身の不登校経験も鑑みた上で、考察したいと思います。

勉強をする意味は抽象的な思考の訓練にある

私たちが義務教育などを通して勉強する最も大きな意味は、「抽象的な思考の訓練」にあると考えられます。

抽象的な思考とは、数字や記号と言った概念を通して、世界を一般化して捉えることです。

つまり、様々な学問を勉強することによって、世界で起きているあらゆる出来事を、抽象化・一般化して考える力が身につくのだといえます。

抽象的な思考は実社会でも役立つ

世界で起きている出来事を抽象化して捉えるという行為は、実社会では役に立たない印象を受けるかもしれません。

ですが、私たちは世界を抽象的に捉えることにより、未知の出来事の予測を可能にしています。

例えば、「Aさんがトンカツを毎日食べたら太った」という経験を具体的な事実のまま受け取ると、「Aさん」が再び「トンカツ」を毎日食べない限り、その経験によって得られた知識を生かすことが出来ません。

ですが、上の経験を「人間が揚げ物を毎日食べたら太った」と抽象化して捉えると、「Bさん」が「コロッケ」を毎日食べた場合にも、Bさんが太るかどうかを予測することが可能となります。

様々な教科を勉強することは、世界を抽象的に捉えるための様々なテクニックを身につけることに等しく、それらのテクニックは「未知の出来事に対応する」という点で、実社会でも大きく役立つのだと考えられます。

抽象的な概念は人を結びつける

私たちの暮らしを大きく変えた現代文明は、抽象的な概念の発達により形作られたと考えることが出来ます。

なぜなら、抽象的な概念は、人々の知識やアイデアを結びつける上で、有利な特性を持っているからです。

例えば、「りんご」を知らない人とりんごについての会話をしたいとき、「りんご」という具体的な単語を用いても、りんごを知らない人にとってはイメージが付きにくいかと思います。

ですが、「赤くて、丸くて、甘い、果物」というように抽象化した表現を用いれば、りんごを知らない人でもその姿や特徴をイメージすることが出来ます。

以上のように、物事を抽象化して捉えることにより、多くの人が未知の情報を共有することが容易になります。

そして、このことは知識の集積やアイデアの発達を促し、現代社会にみられるような世界的な文明の誕生に貢献したのだと考えられます。

そのため、抽象的に物事を捉えるテクニックが身についていれば、より多くの人と情報を共有し、社会を変革する上で大きな貢献を果たすことが出来るかもしれません。

ちなみに、キリスト教・イスラム教・仏教といった世界的な宗教には、基本的に偶像崇拝が禁止されているという共通点があります。

これは、抽象的な概念こそが、環境や文化といったバックグラウンドの異なる多くの人々を結びつける上で、重要な役割を果たしてきたことを意味しているのかもしれません。

学校に行く意味とは

上で述べた通り、私たちが勉強をする意味は「抽象的な思考の訓練」にあり、抽象的な思考は「未知の出来事を予測する」「多くの人々と情報を共有する」という点で、実社会でも大きく役立ちます。

私たちは一般的に学校で勉強を教わりますが、物事を抽象的に捉える意味について、意識的に教えてくれる学校は少ないように思われます。

むしろ、現在の学校教育は、社会的な能力を推し量るのに利用される「学歴」を手に入れるための、資格取得過程として捉えたほうが良いのかもしれません。

もちろん、学校に行く意味は勉強することのみにあるのではなく、同年代の友人を作ったり、部活動に打ち込んだりする場として、学校は重要な役割を果たしています。

また、学歴は依然として能力を推し量るための指標として利用されているので、良い学歴を手に入れることが無意味なわけでもありません。

一方、学歴を気にすることなく抽象的な思考を訓練したり、学問そのものを楽しみたいのであれば、必ずしも学校で勉強を教わる必要はないのかもしれません。

現在、学校に行けなくて悩んでいる学生の数が増加しており、私自身も中学校時代はその一人でした。

もしも、学校に行けなくて悩んでいる人に、勉強をする・学校に行く意味を改めて考え直す機会が与えられれば、「自学自習で抽象的な思考を訓練する」「具体的な知識・技術を手に入れるために実社会で働く」「友達や学歴を求めて学校に通う」といった、自分の希望に沿った生き方を選択するための手助けになるかと思います。

おわりに

私たちが勉強をする意味としては、少なくとも机上の学問に関しては、具体的な知識・技術の獲得よりも、抽象的な思考の訓練にあると考えられます。

そして、抽象的な物の捉え方は、未知の出来事を予測することを始めとして、実社会でも大いに役立てることが出来ます。

学校は勉強をするためだけに通うものではありませんが、抽象的な思考を身につけるのであれば、必ずしも学校で勉強をする必要はありません。

一方、物事を抽象化して捉えるということは、現実に起きている出来事を、本来の姿とは別の形で理解することを意味しています。

そのため、勉強を通して得られる知識や考え方が、世の中の全てであるというわけではありません。

ですが、現実を抽象的に捉え、その構造を理解しようとする視点を学べば、私たちが抱える様々な苦痛や困難に意味を持たせ、それらを克服する力となるのかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございました!