世間の当たり前に疑問を持つ人ほど、社会で生きづらさを抱えやすいのかもしれません

コラム

社会で生きづらさを抱えている人は、世間で当たり前とされていることに違和感を覚えているのかもしれません。

世間の当たり前を疑問に思い、社会と足並みがそろわないと感じてしまうことは、とても苦しいことだと思います。

ですが、常識や固定観念に捉われない心は、これからの社会を生きる上で欠かせない才能であると考えられます。

ここでは、世間の当たり前に疑問を持つことが生きづらさの原因になり得る理由と、それがこれからの社会を生きる上で役立つ才能だと考える根拠について解説します。

世間の当たり前に疑問を持つと生きづらくなる理由

世間の当たり前に疑問を持つことが生きづらさの原因となる理由として、以下の2つが考えられます。

・競争社会で不利になる
・迅速なコミュニケーションの妨げになる

これから、それぞれの項目について詳しく説明したいと思います。

競争社会で不利になる

「競争する」という行為は、他者と目標・ルール・価値観などを共有することで、初めて成り立つものかと思います。

そのため、競争社会の下で当たり前のように共有されているルールや価値観に疑問を抱いてしまうと、他者との競争に全力を打ち込めなくなってしまうかもしれません。

例を挙げると、一昔前の高度経済成長期には、「大量生産・大量消費」という価値観が広く浸透していました。

「大量生産・大量消費」という価値観の下では、経済活動が環境に与える影響を顧みず、商品を出来るだけ安く・大量に生産することが、企業の競争力を高めるための有効な戦略でした。

そして、「大量生産・大量消費」という価値観に異議を唱え、環境に配慮した経営を行うことは、価格や生産量といった点における、競争力の低下を意味していました。

現在では、「企業の社会的責任」という考え方が認知されるようになり、環境に配慮した企業経営が経済的な競争力を持つようになりました。

ですが、社会における価値観が変化する過渡期においては、世間で当たり前のように考えられている常識に疑問を抱くことは、競争力低下の原因になり得るのだと考えられます。

このことは、個人間における競争にも当てはまると思います。

つまり、世間で共有されている常識と自分の倫理観との間にギャップを感じてしまうと、競争的な振る舞いにブレーキがかかってしまうのです。

そして、競争社会から振り落とされてしまうと、それが自尊心の低下につながり、生きづらさの原因となってしまいます。

迅速なコミュニケーションの妨げになる

常識や固定観念という言葉には、私たちに誤解や偏見を生じさせる悪いイメージがありますが、迅速なコミュニケーションを取る上で役に立つ側面もあります。

つまり、私たちは常識や固定観念を共有することで、同じ社会に所属していることを認識し合うとともに、自分の考えをいちいち細かく説明することなしに、他者とコミュニケーションを取ることが出来るのです。

例えば、私たちが普段何気なく使う「言葉」も、常識や固定観念に近いものであると考えることが出来ます。

私たちは「赤くて・丸くて・甘い・果物」を、「りんご」という言葉で表現します。(十分な説明ではないかもしれませんが便宜的に)

「りんご」という言葉を使って迅速なコミュニケーションを取るためには、「赤くて・丸くて・甘い・果物=りんご」という考え方を、社会で共有する必要があります。

もしも、「りんご」という言葉を社会で共有できていないと、りんごについての話をするために、いちいち「赤くて・丸くて・甘い・果物」と言わなくてはなりません。

世間で当たり前とされている常識や固定観念に疑問を持つことは、「りんご」という言葉の意味に疑問を持つことに似ています。

それはつまり、社会における共通言語を使いづらくなることに繋がり、他者との迅速なコミュニケーションを取ることの妨げとなってしまう可能性もあるのです。

当たり前を疑うことはこれからの社会を生きる才能である

以上のように、世間の当たり前に疑問を持ってしまうことは、競争社会では不利に働いてしまい、他者との迅速なコミュニケーションの妨げになってしまうこともあります。

そのため、世間で当たり前とされている物事に違和感を覚えてしまう人は、社会で生きづらさを抱えやすいのかもしれません。

ですが、世間の当たり前に疑問を持つことは、これからの社会を生きる上で役立つ才能なのかもしれません。

例えば、「大量生産・大量消費」という価値観が変化し、環境に配慮した企業経営が経済的にも有利になったように、社会的な競争力は時代とともに移り変わります。

現代ではテクノロジーの進化により、世界中の人々がより迅速かつ広範囲に知識を共有・発展させることが可能となりました。

そのため、社会における価値観は以前よりも早いスピードで変化し、それに伴って社会的な競争で有利になる戦略も、移り変わりが激しくなっています。

そのような時代では、常識や固定観念に流されやすい人よりも、世間の当たり前を疑える人のほうが、自信を持って社会の変化と対峙できるのかもしれません。

また、現在は移動やコミュニケーションの手段が発達したことから、多様な価値観や文化に触れる機会が多くなりました。

そのため、常識や固定観念に頼らない柔軟なコミュニケーションの重要性が、以前にも増して大きくなっているはずです。

社会における共通認識を利用して、迅速かつ簡潔にコミュニケーションを取ることの便利さは、変わらず存在していると思います。

一方で、常識や固定観念に捉われず、自分や他者とじっくりと向き合うことは、多様な価値観に触れる機会の多くなった現代では、ますます重要なものになっていくでしょう。

世間で当たり前とされていることに違和感を感じてしまうことは、自尊心の低下や孤立感の高まりを招き、生きづらさの原因となってしまうのかもしれません。

ですが、これからの社会では、世間の当たり前に疑問を持つ心が、自分を助け、他者を思いやるための才能になり得ます。

そのため、常識や固定観念に馴染めず、社会で生きづらさを抱えている人も、自分に自信を持って良いのだと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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